無理して「勉強」

中国語で「勉強」というと「無理!」とか、「強制する」という意味になり、
「5秒で来て。」「<勉強>=無理だよ!」の様に使ったりするのですが、なんでこれが日本語の勉強になったのか、ずっと不思議に思っています。
よく日本人は冗談で「日本の勉強は強制だから」といったりしますが、案外ほんとかも知れないと思ったりする今日この頃。

なんでこんなことをわざわざ書いたかというと、近頃日本からのニュースで学生に対するレポート売買サイトが話題となり、レポートのコピペ発見ソフトを開発する教授が登場したり、図書館などのメディアリテラシー関係者各位が苦心してるというのを読んだから。大学教育が当たり前になっているのだから、大学側がコピペで通用しないレポート課すのが一番だと思うけど、それは先生が大変だからしないのでしょうか。自分の学生時代を振り返っても教育、というのがまとまってどこらへんにあったのかわからないもんね。

ちなみに中国語で勉強するは「読書」または「看書」なので、つまり「本を読むこと」なのですね。あら、ステキ。
そうはいっても少子化時代、台湾だって入試0点で大学に受かったり(本人が一番驚いたと思う)、ウィキペディアの切り貼りや、本のコピーに関しては日本以上に無抵抗かもしれず、美しきは言葉の世界のみ。でも言葉が最後の砦のようなものなら、多分ないよりあった方がいいんじゃないかな、って。